幸せ感じる☆日々の暮らし

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【726】ペガサスの記憶(読書感想文196)

ペガサスの記憶

桐島洋子

小学館

1980円

 

表紙は素敵な家族写真です。

☆☆☆☆☆

manana55.hatenablog.com

 

以前上記の桐島かれんさんの本を読んだのですが、後日インターネットで書籍紹介&感想を見てみました。

 

お店出店時のトラブルなどから桐島かれんさんに良い印象を持っていない方などがいて、批判的なコメントも目に入りました。

 

「あの桐島洋子の娘だもの・・・」というような内容も書いてありました。

 

「???」

 

全然背景を知らなかったので、何のことだか分からなかったのですが、今回『ペガサスの記憶』で桐島洋子さんの文章を初めて読み、桐島洋子さんについて知りました。

 

未婚の母、桐島洋子さんの言動から、良妻賢母を理想とする方々を中心に批判的な感情を抱く方も多かったようです。

 

しかし、この本を読んでぼんやり感じていた桐島洋子さんの印象ががらりと変わりました。

 

☆☆☆☆☆

お、面白い!!

 

凄い!!

 

一気に読んでしまいました。

 

前半は洋子さんの半生、ローランドさんの出産までが綴られています。

 

文章も素晴らしく、とても明解です。

 

後半はお子様三人の語り(だと思います。文章を書いている方もいらっしゃると思いますが、語りをライターさんが文章に起こしているのではないでしょうか)で家族の物語が綴られます。

 

☆☆☆☆☆

話がそれますが・・・桐島という苗字について。

 

“もっとも桐島というのは祖父が勝手に創作した苗字だから、当時の「桐島家」に百年もの歴史などありはしなかった。土佐中村の中村家で元治元(1864)年に生まれた祖父は元治郎と命名されたが、歌舞伎の中村鴈治郎と紛らわしいから勝手に桐島像一に改名してしまった。(中略)私だって中村洋子より桐島洋子のほうが良かったから祖父の我儘に感謝しよう。”

 

日本の平民に苗字の使用が許可されたのが明治初期、1870年なので、その前のエピソードです。

 

以下ものすごく話がそれますが個人的な感想です。

 

苗字ってちょっと前に自由につけられたんだよ・・・と我が家で常々話をしているのですが、頑固に苗字に拘ってしまった親族に声を大にして伝えたいっ。

 

私たちが生きていると言う事がはるかはるか昔の見知らぬ誰かから命がつながっていることですからね・・・。

長い長い歴史を守って、いやいや、そんな長い歴史を持つ苗字はごく少数で。

 

明治時代あたり、つい最近というかちょっと前に勝手につけた苗字に固執しなくてもよいじゃない・・・。

 

とうことを改めて思った次第です。

 

すみません、かなり横道にそれました。

 

それにしても桐島という苗字は涼しげで良いお名前だと思います。

 

素敵。

 

☆☆☆☆☆

話を戻します。

 

三菱の番頭だった父親を持ち、戦後の没落を経験したものの、お嬢さま気質の洋子さん。

 

強い意志とその行動力には驚きのエピソードが満載です。

 

高校卒業後、進学をせず、友人に宛てて出していた葉書が縁で、友人の父であった永井龍男が推薦人となり、『文藝春秋』に就職します。

 

女性が仕事をするのはまだ難しかった時代です。

 

文藝春秋での会社員生活は1956年4月入社、販売部からはじまります。

 

文藝春秋』には様々な投書が届きますが忙しい編集部は対応せず、受付に回していたそうです。

 

それらの投書に洋子さんは丁寧に手紙を返します。

 

その手紙が上司の目にとまり“「それにしても、君は文章がうまいねえ。お茶くみなんかさせておくのはも勿体ないな」”と褒められます。

 

そのほか、様々な功績が積み重なり、1959年念願の編集部へと配属されます。

 

縁故だけでなく、実力で編集部へと移りました。

 

本書にはお手紙の下書きなどお手紙の文章がたびたび紹介されています。

 

丁寧で素敵な文章で素晴らしいです。

 

受け取られた方はとても感動された事でしょう。

 

文才もあり、編集者の仕事はまさに天職だったのではないでしょうか。

 

バリバリと仕事をするだけでなく、遊びも沢山します。

 

不倫もなんのその(最初の頃は葛藤もあったようですが・・・)。

 

父親の姿を見ていたからかもしれませんが•••。

 

富裕層の方々、一夫多妻のようなところもありますし•••。

 

1960、61年頃、グリーン車で偶然隣合わせた中年男性、ダグと出会います(ナンパ)。

 

ダグは米軍潜水部隊の司令官でした。

 

産まれる前に事故で父親を亡くし、ボストンで貧しく育ち、大学に行かず海軍に入隊。

ノンキャリアの水兵から中佐まですみやかに昇進したのだからそれなりに優秀で野心的な男だったのだろう、と洋子さんは分析しています。

 

自身の著書がハリウッドで映画化されているという文才もある方でした。

 

1963年、妊娠が分り、ダグからは物心ともに出来る限りの援護を受けます(ダグには本妻以外に複数の交際あり、洋子さん以外の方とも子供をもうけています)。

 

洋子さんは会社には勿論、家族にも妊娠を秘密にします。

 

数人の親友にだけ打ち明け、出産の準備をします。

 

出産前に“昼夜通してお宅にお預けし、週末だけ会いに行かせて頂きたいと思っております”と手紙を出し、面接と住環境の視察をしたうえで間違いがないと思った、施設保育所を営む女性に預けたり・・・事前準備も抜かりないです。

 

昔から子どもが母親一人で育てるなんて事はなく、大家族で育てる事も多かったでしょうし、富裕層は乳母などがいて母親が育てていたわけではありませんし。

 

冷静かつ柔軟に考え、自身で選んだ他人の力を借ります。

 

話がそれますが、最近のワンオペは本当に苦しい状態だと思います。

 

昔から子どもは母親ひとりではなく周りの沢山の力を借りて育てたもの。

 

・・・一人で抱えず、人に甘えて、任せて良いと思います。

 

洋子さんは妊娠中も勤務を続け、驚きの方法で極秘に出産をし、見事仕事に復帰します。

 

すごい行動力だな・・・と思いながら読み進めました。

 

1964年の第一子の出産も凄かったのですが、1965年の第二子出産はまさに「ぶっ飛んでる!!」行動をします。

 

若くて健康、そして、知力とお金、行動力があるので出来る事。

 

思いつかないですし、思いついたとしても身体の事が心配ですし、そんなことはやらないです・・・という行動をとります。

 

未婚のまま3人のお子さんを出産された洋子さん。

 

ローランドさんが生まれた時にはダグは既に60歳だったそう・・・。

改めて凄い・・・父親以上の年齢の方と・・・。

(という事で子どもたちは3人ともダグが父親です)

 

後日談になりますが、ダグさんもかなりタフな方です(女好き)。

 

大学生になり、父親を訪ねてアメリカに渡ったローランドさんの語りを読んで絶句です。

 

ダグさん、いくつですか•••。

 

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いつまでたっても自分と結婚しないダグと分かれ、3人の子どもを育てるためにバリバリと働く洋子さん。

 

作家に転身し、ベストセラーを出した後、アメリカに移住するなど、その後も凄い行動力です。

 

子どもには悪口などマイナスの言葉は聞かせない、言わせない、(忙しい事もあったでしょうが)あれこれと面倒を見ず子ども一人で行動させる、など、一貫した美意識とも言える信念があったようです。

 

☆☆☆☆☆

渚(かれんさん)、澪(ノエルさん)、舵(ローランドさん)の後半の部分は、家族の良い面だけでなく、葛藤や苦悩なども書かれています。

 

三人の子を養うためにはバリバリ働く必要があったのは分かりますが、巻き込まれてる子どもは寂しいですよね•••。

 

洋子さんの“私の人生の最愛の収穫である子供三人孫七人”という言葉に救われるのではないでしょうか。

 

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読み応えのある一冊でした。

 

家族の大きな物語

 

読後も清々しく、お勧めです。

 

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皆さまの明日も良い一日になりますように!!